その間、ほぼずっと一般的な意味で「忙しく」過ごしました。しかし、先輩から「営業が『忙しい』と言って良いのは、ノルマを超えて売れている時だけだ」と教えられ、それを忠実に守ってきました。つまり、売れてない時は、どんなにバタバタと各種施策をうっていても、場合によってはトラブル対応にあたふたしてても、決して『忙しい』と言ってはいけないというわけです。
そういう意味で一番最初に本当に忙しかったのは1987年でした。1984年11月から京都営業所へ異動し、1991年10月まで一貫して京都府・滋賀県の全域と福井県の一部を一人で担当しましたが、異動して3年目で担当地域全域のお客様を粗方把握出来、また自社製品もほぼ全てを知り尽くし、テリトリー・マネージメントやアカウント・マネージメントに関して自分で自信を持て始めた年でした。
時期的に製品に恵まれた事もあり、お客様に会えばあっただけ案件を創出する事ができ、また連戦連勝でした。
本当にピークの頃は、毎晩のように26時過ぎまで残業してました。月の残業時間も150時間を超えました。毎晩、提案書、見積書、手配依頼書、設置作業依頼書…等々を作ってました。前の晩どんなに遅くなっても翌朝8時にはお客様先に居ました。
でも、上の子が生まれた(1986年12月)ばかりだった事もあり、気力も体力も充実していたので、どんなに忙しくても仕事が楽しくてしかたがなかった事を、今でもよく覚えています。
つづく
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